「人付き合いがしんどい」と思わへんやろうか
「なんか最近、人付き合いがしんどいな」
そう感じること、ないやろうか。
50代になってから、
飲み会や雑談が楽しくなくなったり、
昔は気にならへんかった会話に疲れたり。
「自分が変わってしまったんかな」
「協調性がなくなってきたんかも」
そんなふうに思うこともあると思う。
私も、まさにそうやった。
今の職場は同世代ばかりで、
いわゆる「おじさん」の集まり。
自分もその一人なんやけどね。
ただ、この年代って、
人の話をあまり聞かずに、
自分の話ばかりする人が多い。
会話を楽しむというより、
自分の話をしたいだけ。
人の会話に入ってきて、
流れを止めて、また自分の話。
いわゆる「会話泥棒」みたいな感じ。
しかも、それが正直あまり面白くない。
仕事中でも雑談ばかりで、
なんかもう、会話そのものがしんどい。
気づけば、「あ、この人たちとは合わへんな」
そう思うようになっていた。
50代の人付き合いがしんどくなる理由
昔は、こうやなかった。
似たような人がいても、
なんとなく合わせてた。
空気を読んで、話を合わせて、
場を壊さへんようにする。
それが大人やし、
仕事を円滑に進めるために
必要やと思ってたから。
多少疲れても、
「こんなもんやろ」で流してた。
無理して合わせなくてもいいと気づいた
でも、今は違う。
職場以外にも、
普通に楽しいコミュニティがあるし、
無理して今の職場の人たちと
付き合わへんくても困らへん。
それに気づいたとき、
「あ、もう無理せんでええんやな」と思った。
距離を置いた今の過ごし方
今は、かなり距離を置いている。
会社では、黙々と仕事をするだけ。
雑談してる声も、聞こえてないふり。
たぶん周りからは、
「協調性がない人」「しゃべらない人」
そう見られてると思う。
でも、気にしてへん。
どうせ、あと数年の付き合いやし、
仕事はちゃんとやってる。
それで十分やと思ってる。
やり方としては、
「会話に参加しない」やなくて、
「聞き役に徹して、自分からは振らない」
という選択にした。
最初は罪悪感があった。
輪から外れているような感覚。
でも1週間もすると、
帰宅後の疲れ方がまるで違うことに気づいた。
無理に笑わへんかった分、気力が余っていた。
50代は人付き合いを選んでいい時期
ここで、ひとつ思ったことがある。
もしかしたら、自分が変わったんやなくて、
「無理に合わせなくていい」って
気づいただけなんやないかと。
若い頃は、人間関係を広げることに
意味があったし、
多少無理してでも付き合う価値があった。
でも、50代は違う。
時間も体力も、無限やない。
残りの時間をどう使うかを、
ちゃんと選ばなあかん時期やと思う。
気を使って疲れる時間と、
気を使わずにラクでいられる時間。
どっちを選びたいかは、
もうはっきりしてるはず。
それでも、「今までこうしてきたから」とか、
「周りにどう思われるか」とかで、
同じ付き合い方を続けてしまう。
でも一度、立ち止まって
考えてみてもいいと思う。
この人付き合い、
本当にこれからも必要なんかなって。
残りの人生に、
気を使い続ける余裕って、そんなにない。
やったら、無理に合わせる人間関係は、
少し手放してもいい。
職場の付き合いは、
仕事に支障が出えへん最低限でいいと思う。
挨拶・報連相・業務上の協力。
その範囲ならていねいにやる。
でも、それ以上は無理して広げへんでいい。
仕事の質が落ちひんなら、それで十分。
まとめ:無理して合わせなくてもいい
50代の人付き合いのしんどさは、
協調性がなくなったんやなくて、
「合わない関係に使えるエネルギーが
変わった」だけやと思っている。
急にしんどくなったように感じるのは、
価値観がはっきりしてきて、
「合わない」場面への耐性が下がったから。
変わってしまったんやなくて、
自分に正直になっただけ。
人付き合いを減らすことは、
冷たいことでも、わがままでもない。
ただ、これからの時間を
自分のために使うという選択。
自分がラクでいられる時間。
自分がちゃんと楽しめる時間。
そっちを選んでも、いいと思う。
50代は、「誰とでもうまくやる」より、
「誰とどう過ごすか」を選ぶ時期。
もう、無理して合わせへんでもいい。
そう思えるだけで、
人付き合いは、少しラクになる。
人間関係と時間の話は、こちらの記事も参考になります。
人間関係 疲れる 50代|気を使いすぎる原因
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