【認知症シリーズ第1話】最初の違和感と、夜の宝探し

家族と仲間
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食べた直後に忘れるようになった母

母が「今日のお昼、何食べたっけ?」と聞いたのは、食べ終わって5分後のことでした。
テーブルには、まだ食べ終わった皿が残ったまま。
その光景に、胸の奥がすこしざわつきました。

最初は笑い話のように扱っていました。
「そんなん忘れる?まだ皿あるやん」と言うと、
母も「ほんまやなあ、私どないしてんねん」と明るく返してくる。
そんなやり取りが続きました。

ただ、頻度はゆっくり増えていきました。
笑っているのに、目の奥だけが笑っていない──
そんな“薄い影”のような感情が見えるようになったのは、この頃です。


笑顔の奥にあった“気づかれたくない不安”

母はもともと明るく前向きな人でした。
多少の失敗があっても
「まあええやん」と笑って済ませるタイプです。

その母が、
「覚えてなくても、美味しく食べられたらええねん」
と言ったとき、私は違和感を覚えました。

言葉は明るい。
でも“自分でも少しおかしいと気づいている”
その揺れが、表情に滲んでいました。


胸に残った“ざわつき”

決定的な瞬間は、母がふいに
「今日、何してたっけ?」
とつぶやいた日でした。

食べたことを忘れるのとは違う。
今日という“まとまり”がまるごと抜けていた。

この瞬間、私は
「これは放っておけへん」とはっきり思いました。

怖さや不安よりも、
“母が一人でこの不安を抱えるのはしんどいやろ”
という気持ちのほうが大きかった。

ここから私は、母と一緒に過ごす時間を意識的に増やすようになりました。


気づけたかどうかで、その後の時間は変わる

母の変化は急ではありませんでした。
むしろ、静かに、気づかれないように進んでいきました。

でも、この最初の違和感を”スルーしないこと”が、
結果的に、母と過ごせる時間の濃さを変えた、と今は思います。

気づかないままなら、私は何ヶ月も、何年も、
“親はまだ大丈夫”のままで過ごしていた。

気づいた瞬間から、私の50代の時間の使い方は、
少しずつ、母のほうへ向きました。
「また今度ね」で先送りした分は、たぶん戻ってこない。
そのことに、ようやく気づき始めた頃でした。

夕方から“何かが変わる”母

母の変化がはっきり見えてきたのは、夜でした。
昼間は家事も料理も問題なくこなし、むしろ私より元気な日もある。
だからこそ、夕方から夜にかけての表情の変化が目立ちました。

夕方になると、鼻歌を歌いながら部屋を歩き回るようになり、
どこか落ち着かない様子が出てくる。
当時の私は「今日は疲れてるんかな」くらいの認識でしたが、
今思えば“夕方症候群”の初期だったのだと思います。

母の行動には、ひとつの共通点が表れ始めていました。
“大事なものを確認したくなる” ということです。


探し物の始まりは、いつも同じ言葉

「財布がない気がする」
「リモコン、どこ置いたっけ?」

この言葉が出ると、夜の宝探しが始まります。
最初は一緒に探していましたが、
次第に“想像のつかない場所”にしまうようになりました。

  • タオルの下
  • 冷蔵庫の上
  • 食器棚の奥
  • パジャマのポケット

見つけても、数分後にはまた不安が押し寄せる。
しまった瞬間は覚えていても、そのあとの記憶が抜けてしまう。

私はこの時期、「探し物の問題」は
物の問題ではなく、不安の波が押し寄せるサイン だと気づき始めました。


夜中の12時、母が動き始めた日

ある夜、実家に泊まっていると、
母が寝室から出てきて「財布がない」と言いました。
時計を見ると夜の12時すぎ。

「明日探せばいいやん」と声をかけても、
母は聞こえていないように家中の照明をつけて探し始めました。

タンスの引き出しを一段ずつ開け、
押し入れの奥に腕を突っ込んで、
「ここに入れたはずやのに」とつぶやく。

リビング、寝室、廊下──部屋という部屋の“影”を確かめるように歩き回る姿に、
私は胸が痛くなりました。


2時間続いた宝探しに寄り添った夜

探し始めて1時間が過ぎたころ、私は心が折れそうでした。

  • 同じ場所を何度も探す
  • 会話がかみ合わない
  • 「信用してないんやろ」と怒られる
  • 助けたいのに助けられない

母は“物をなくした不安”ではなく、
“自分を失う不安” と戦っていたのだと思います。

「絶対ここに置いたはずやのに」
「なんでないんやろ」
そのつぶやきは、私の胸にずっと残っています。

2時間を過ぎた頃、母はふっと力が抜けたように座り、
「もうええわ」とささやきました。

その横顔を見て、私は
不安の量を減らすことこそ、家族ができる支えなんや
と気づきました。


キーファインダーの“効く時期”と“効かない時期”

その後、私はキーファインダーを導入しました。
財布や鍵に受信機をつけ、ボタンを押すと音が鳴るタイプです。

最初はうまくいっていました。
母も音のする方に耳を澄ませて安心した様子を見せていました。

しかし、だんだん
音は聞こえるのに、方向がわからない
という状況が増えていきました。

認知症が進むと、
“音の位置を想像する力” が弱くなる。

この時私は、
便利な道具でも 「効く時期」「効かない時期」 があるという
当たり前のことを痛感しました。


仕組みで不安を減らすという考え方に変わった

夜の宝探しは、
母にとって“安心を取り戻す時間”でした。
何度見つけても安心は長続きせず、
不安がくるとまた探し始める。

言葉で止めることはできない。
そこで私は発想を切り替えました。

→ 不安そのものを減らす仕組みを作る。

見守りカメラは、その第一歩でした。
“置いた瞬間”を確認できるだけで、
私の心の負担は大きく減りました。

このあと導入するスマートリモコンは、
“探す対象そのものを消す”効果があり、
夜の宝探しは少しずつ減っていきました。


まとめ

母の最初の違和感は、ほんの小さなエピソードでした。
「また忘れてる」で済ませていたら、私はもっと遅く気づいていたと思います。

当時の私がやったのは、特別なことではありません。
気づいた違和感を紙に書いて記録し、かかりつけ医に相談したこと。
具体的なエピソードを持っていったことで、専門医への紹介もスムーズに進み、認知症と分かりました。

でも、振り返ると、診断より大きかったのは、違和感に気づいたあの瞬間でした。
あの違和感をスルーしていたら、母の不安に隣で寄り添える時間は、もっと短かったはずです。

50代の親との時間は、待ってくれない。
仕事や自分の予定を優先しがちな今こそ、誰の隣に時間を使うかが、後悔しないための一番の判断だと思っています。

「また今度ね」で過ごす毎日が、振り返ったときに戻ってこない。
小さな違和感に気づいた今、そこから始まる時間を、大切に使えるかどうか。
それが、シリーズ全体を通して、私が伝えたいことです。

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