施設からの電話が鳴るたびに、胸がざわつく
母が施設に入所して、一年。
認知症は少しずつ進み、
機嫌が悪い日や、寝たふりをして
動かない日が増えた。
特にしんどいのは、
施設からの電話が鳴る瞬間。
着信の名前を見た途端、胸がざわつく。
良い知らせの可能性が低いことを、
知っているから。
先月は、電話が二度続いた。
一本目は、母が夜中にベッドで排便し、
それを口にしてしまったという報告。
二本目は、施設廊下の非常ボタンを
押してしまったという連絡やった。
職員さんは落ち着いて対応してくれたけど、
私はすぐに「最悪のシナリオ」を
想像してしまった。
以前、骨折で入院した際に迷惑をかけて、
早めに退院を促された経験がある。
その後の家族介護の大変さを思い出すと、
また生活が「介護オンリー」になる未来が、
怖くなる。
面会に行けなかった3ヶ月と、罪悪感との付き合い方
この3ヶ月、私は面会に行けへんかった。
家族の予定を理由にしていたけど、
本当は「変わっていく母の姿を
見るのが怖かった」から。
同じ悩みを抱える人は、多いと思う。
面会に行けない自分を責めてしまう。
そんな気持ちは、介護を経験した人なら、
誰もが持っている。
しかし、距離を置いたからこそ、
見えるものもあった。
ふと、母が認知症になり始めた頃、
弟と三人で過ごした時間を思い出した。
20歳頃からほとんど会話をしてへんかった弟と、
母の介護をきっかけに昔話をした日々。
認知症でなければ、
訪れへんかった時間やった。
その記憶がよみがえり、
不思議と涙が出るような
安心感に包まれた。
「認知症はつらい。でも、家族が
つながり直す時間もあった」と
気づいた瞬間やった。
罪悪感を軽くする「面会の線引き」
面会は「行けるときに行けばいい」。
義務やないし、
愛情が薄いわけでもない。
迷ったときの合図は、ひとつ。
自分の生活が守れるペースかどうか。
これだけで十分やと思う。
距離を取っても、つながりは切れへん。
その柔らかい事実を、
自分に許してあげてほしい。
薬が合うと、母は少し落ち着いた
先月から薬が変わり、
母は以前より落ち着いた様子が増えた。
義理の妹が面会した日は、
普通に一緒に昼食を食べたという。
昨日、私が病院に連れて行った時も、
表情がどこか穏やかやった。
その「小さな変化」に、
私は思っていた以上に救われた。
「月に一度なら、また顔を
見せられるかもしれへん」
そんな静かな希望が、
自分の中に灯った。
まとめ:形が変わったぶんだけ、新しい時間の使い方がある
施設に入ってから、母との距離は、
物理的に少しだけ離れた。
会話が減って、面会も月一になって、
関係は薄くなる気がしていた。
でも、月に一度の面会と、
ときどきの電話越しの声が、
家にいた頃とはまた違う形で、
私を救ってくれた。
当時の私がやったのは、
施設からの電話が来たとき、
すぐに出ずに、数秒だけ深呼吸してから出ること。
たった数秒やけど、
動揺したまま出るよりも、
ずっと話を受け止めやすくなった。
面会に行けへんかった3ヶ月のことも、
「行けばよかった」と悔やむより、
「その時の自分にできることをしていた」と
考えるようにした。
家にいた頃は、毎日が当たり前で、
時間の濃さに気づかへんかった。
離れてはじめて、母の声が聞こえる時間が、
どれだけ貴重か気づいた。
「忙しいから今度でいい」やなくて、
月に一度、必ず会いに行く。
電話を一本かける。
形が変わっても、関係性は終わらへん。
その時々で「使えるかたち」を、ちゃんと使う。
50代の親との時間は、形を変えながら、
ずっと続いていくものなんやと、
今は思っている。
シリーズの他の話はこちら。
【認知症シリーズ第5話】家で守れなくなった日──転倒、そして施設へ
【認知症シリーズ第1話】最初の違和感と、夜の宝探し
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