財布やリモコンが「どこかにいった」だけの話やのに、なぜか心がざわついた
母が一人暮らしをしていた頃、
母に関する心配事で一番多かったのは、
大きな事件やなかった。
財布が見当たらへん。
リモコンがどこにいったか分からへん。
探せば出てくることも多いし、
本人も「あ、こんなところにあったんやね」と
あっけらかんとしている。
それだけ聞くと、
年を取ればよくある話、で終わる。
でも、同じことが何度も続くと、
少しずつ気持ちが引っかかってくる。
「困る」というより、なぜか心がざわつく。
たぶん、あのざわつきの正体は、
物が見つからへん不便さやなくて、
この先の生活がゆっくり崩れていく
予感やったんやと思う。
目の前にあるのに「ない」と言う。リモコンは不思議やった
リモコンは時間帯に関係なく、
目の前にあるのに
「どこかにいった」がよくあった。
認知症の影響もあると思うけど、
視界が狭まっているのか、思い込みなのか、
目の前にあっても気づかへん時がある。
この時の母の反応は、
怒ることもなく、わりと淡々。
見つかったら「あ、そんなところに
あったんやね」みたいな感じで終わる。
生活としては不便やけど、リモコンだけなら、
まだ「大ごと」ではなかった。
財布(現金)は、困り方がまったく違った
夜になると「取られたかも」が始まる
ところが、財布(現金)がなくなる時は、
困りの種類が違った。
昼間は気にしてへんのに、
家族が帰った夜になると、
突然「取られてないか」が心配になる。
それで、いつもの所に置いていたら
取られるかも…という不安から、
違う所に隠してしまう。
自分で隠して、自分で分からなくなる
そして、自分でどこにしまったか
分からへんくなる。
結果、「取られた」になる。
1時間、2時間、一人で探し続ける。
疲れて、諦める。
この一連は、見守りカメラがあったから、
後で分かった。
家族の前では「なくなった!」と
怒ることはなく、平静を装っていたけど、
内心は相当心配していたと思う。
家族総出の「宝探し」になった日もある
見守りカメラでも見つけられへんときは、
家族総出で「宝探し」をしたこともあった。
見つかったら、家族がそれとなく
元の位置に戻す。
誰も強く言わへん。責めへん。
でも、心の中では、
ずっと緊張感が残る。
最初は「正論」を言っていた。でも途中でやめた
最初の頃は、正論を言っていた。
「家に母しかいないんやから、
リモコンをどこかにやったのも母やで」って。
でも、途中から分かった。
母も、そんなことは分かっている。
分かっているけど、覚えてへん。
覚えてへんから、
他人のせいにするしかない。
正論を言っても、解決せえへんし、
母もしんどくなるだけ。
それに気づいてからは、
正論を言わへんように心がけた。
ちなみに、同じ場所への置き忘れや、
見つからへん日が続くなど、
頻度が増えてきたら、
一度かかりつけ医に相談するのが
いいと思う。
認知症の早期発見は、
進行を遅らせることにつながるから。
本当に怖かったのは「お金」やなくて「信頼」が壊れること
リモコンがなくなるのは、不便。
でも、現金がなくなるのは、
家族の信頼関係の話に発展する。
協力しても、信頼されへんなら、
やってられへんくなる。
お互い、ストレスになる。
だから怖かったのは「現金がない」より、
疑いが生まれることやった。
あのメモを、誰も触れなかった
ある日、いつもの現金の置き場所に、
手書きのメモが貼られていた。
「勝手に取らないで!
欲しいならちゃんと言って!」
たぶん、家族宛て。
でも、母も家族も、そのメモについては
触れへんようにしていた。
喧嘩にもならず、大事にもならへんかった。
ただ、母の本心が少し見えて、
少し寂しかった。
しばらくして、
そのメモは捨てられていた。
貼ったこと自体を、
忘れたのかもしれへん。
「もう少し楽になりたい」と思っていた
親の面倒を見るのは、しょうがない。
家族やし、協力する。
でも、そうは言っても、やっぱり
自分の人生も自由に楽しみたい。
その気持ちは、ずっとあった。
全部を背負おうとすると、
どこかで無理が出る。
完璧に守ろうとするほど、
誰かが疲れていく。
だから今なら、
当時の自分にこう言いたい。
全部背負わんでもええよ。
できる範囲で、ちゃんとやってる。
それでいい。
私たちが家でやってみたこと
物が見つからへんことが増えてから、
まず「定位置を作る」ことに集中した。
財布はここ、リモコンはここ、鍵はここ。
毎回同じ場所に戻す仕組みを、
さりげなく作った。
「戻してね」と言うよりも、
置き場所に小さなラベルを貼って、
本人が自分で確認できる環境を作る。
指摘されなくても自分で気づける形にすると、
親の自尊心を傷つけずに済む。
よく紛失するものは、スペアを用意した。
リモコンはもう1台、鍵はスペアキー。
「また見つからへん」というストレスを、
物の量で解決する発想。
それでも追いつかへんくなってきたとき、
道具にお金を使うことに決めた。
キーファインダー、人感ライト、スマートカメラ。
合計しても、2万円もしない。
でも、この小さな出費が、
家族の景色を大きく変えた。
お金で買ったのは、親と過ごせる時間の中身やった
道具を入れる前は、家族の時間の多くが、
「物探し」に消えていた。
毎日15分、20分。
本人もイライラする、家族も疲れる。
その15分があれば、
できたことはたくさんあったはずやのに。
道具を入れてから、
その15分が戻ってきた。
戻ってきた15分で、
母とお茶を飲めるようになった。
「今日はどんな1日やった?」と
聞けるようになった。
昔の話を、ゆっくり聞ける時間に変わった。
2万円のお金で買えたのは、
道具やなかった。
母と一緒にいられる、
時間の中身やった。
私の結論:親に時間を使えるのは、今だけ
親が元気なうちに、
こうして向き合える時間は、
本当に限られている。
50代になって、それがじわじわ
実感として分かってきた。
あと10年、15年と続く保証は、
誰にもない。
節約すれば、通帳の数字は守れる。
でも、その節約の代わりに失っているのは、
家族と過ごす時間の中身かもしれへん。
1万円、2万円のお金で、
家族と一緒にいられる時間の質が変わるなら、
それは「無駄遣い」やない。
私はそれを「豊かな浪費」と呼んでいる。
お金を使って、家族と過ごす時間そのものを守る。
50代以降のお金の使い方として、
これ以上のものはないと、
母との日々を振り返って思う。
親に時間を使えるのは、今だけ。
気づいたときが、動きどきやと思っている。
家族との時間や、見守りの工夫は、こちらの記事も参考になります。
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