【認知症シリーズ第4話】折り紙の時間──家でできる関わり方

家族と仲間
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週末の昼、気づけば折り紙をするのが「当たり前」になっていた

母がなるべく外出しないように、
週末はできるかぎり
母の所に顔を出した。
そして、決まって行うのが折り紙やった。
といっても、芸術的な折り紙やない。

ブロック折り紙。
ひたすら同じパーツを量産する、あれ。

最初のうちは「こんなに同じの作って
どうするの…」と
母は不思議がっていたけど、
数週間すると、妙に
「週末の風景」として馴染んできた。

折り紙の時間は、特別でも介護でもなく「いつもの時間」やった

母は折り紙の箱を開けて、
迷いなく紙を取り出す。

折り方はとてもシンプルで、
誰でも簡単に折れる。
なのに母は、1枚1枚ものすごく丁寧で、
ひと折りごとに「ここ、合ってるよな?」と
確認するように、指で形を整えていた。

私と弟は、それを横で見ながら
座っているだけ。
できばえを褒めるというより、
「今日も同じ色やな」
「これ何個目?」
そんな気楽なやり取りが続く。

折り紙は母のためというより、
いつのまにか
「家族の雑談のスイッチ」になっていた。

不思議なもので、折り紙のときだけ母は落ち着いていた

普段の母は、探し物に気を取られたり、
予定を忘れて焦ったり、
会話が少し噛み合わへん日もあった。

でも、折り紙を前にすると、
その全部が脇に置かれるようやった。

紙を折る音と、
ラジオの柔らかい声と、
家族の雑談だけが部屋に流れる。

母が紙を折るたび、
「よし、ひとつできた」と小さく呟く。
その声が妙に楽しそうで、
私と弟も、つい笑ってしまう。

折り紙は、母にとって
「落ち着くスイッチ」みたいなものやったのかもしれへん。

誰も覚えていないけれど、気づけば山のように積み上がる

ブロック折り紙のパーツは、軽い。
そして小さい。
だから、机の端っこにすぐ積み上がる。

気づけば、ピンクの山、黄色の山、青の山と、
カラフルな丘のようになっていた。

弟が冗談で
「これ、そのうち天井まで積むかもな」と言うと、
母が笑いながら、
「そんなんしたら地震きたら大変やで」と返した。

こういう何でもないやり取りが、
折り紙の時間には、たくさんあった。

折り紙は、母が「自分のペースを取り戻せる場所」やった

折り紙をしているとき、
母の手の動きは、とても一定やった。

ゆっくり紙を折る。
折り筋を整える。次の紙を取る。
淡々としたリズムが繰り返される。
そのリズムが途切れるときは、
母が疲れているサインやった。

「ちょっと休むわ」と言うと、
私と弟も、そのまま一緒に休む。
そしてまた、誰ともなく折り紙に戻る。

そこに気負いはなく、
「無理していない母」がいた。

認知症が進んでくると、
何かをしなければと焦ってしまいがちやけど、
折り紙の時間だけは、焦りがなかった。

まとめ:「してあげる時間」より、「ただ一緒にいる時間」のほうが残った

振り返ると、折り紙の昼下がりは、
「何かをしてあげる時間」やなくて、
ただ「一緒に過ごす時間」やった。

同じテーブル。同じ手の動き。
同じ方向を向いている姿勢。
介護を頑張った日のことより、
ただ並んで折り紙を折っていた
昼下がりのほうが、
不思議と、私の中にはっきり残っている。

折り紙を弟と一緒にやったのは、
母のそばにいる「言い訳」が
欲しかったからかもしれへん。
それでも、手を動かしている間は、
介護の重たい空気が
少し薄れた気がした。

母が「これ、何個目?」と聞いてきて、
一緒に数えた。
そんな何気ないやり取りが、
介護の中で、いちばん穏やかな時間やった。

50代の私が、仕事の予定や自分の都合を
どう調整して、母の隣に座る時間を作るか。
介護ノウハウより先に、
それが大事やったんやと、
振り返って思う。

50代の親と「ただ一緒にいる時間」は、
思ったより短い。
何もしなくていい。隣にいるだけでいい。
「何かしてあげなきゃ」と
思わなくていい時間こそ、
いちばん残った。

その時間が今あるなら、
後回しにしないでほしいと思う。
「今この瞬間」は、
もう戻ってこないから。

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