大学生の頃に感じた「車より友情」の違和感
大学生のころ、周りの友人たちは「彼女をつくるために車が欲しい」と口にしていた。
当時はまだ車が“モテるアイテム”であり、デートの必需品のように思われていた時代だ。
ある友人は、そのためにアルバイトを詰め込み、遊びの誘いにもなかなか顔を出さなかった。確かにお金は貯まるし、車も手に入る。だが私はどこか不思議に感じていた。
なぜなら、車はいつか買える。けれど、仲間と夜中まで騒ぐ学生時代の時間は、その瞬間しかないからだ。
私自身はお金が潤沢にあるわけではなかった。バイトをしても、給料はすぐに飲み会や遊びに消えてしまう。
けれど、そのお金は「時間」を買うために使ったのだと思う。居酒屋で語り合った笑い話、深夜のボウリング、誰も行き先を決めないままのドライブ――どれもお金では換算できない宝物になった。
あのとき、心のどこかで思っていた。
「お金を貯めて時間を無駄にするより、今を楽しむために使った方がいい」

単身赴任で学んだ「出費より思い出」の価値
時は流れ、私は家庭を持ち、娘が小学生になった頃、単身赴任を経験した。
平日は離れた場所で暮らし、週末に帰るには交通費がかかる。新幹線や高速バスのチケット代は安くない。
「無理して帰らなくてもいいんじゃないか」と考えることはあった。
ただ、帰らずに、単身赴任先で過ごせば競馬やパチンコ、同僚との飲み会にお金は消える。
その時、私は思った。
どうせ使うなら、娘と過ごすために使いたい。
週末の帰省は決して楽ではなかった。移動で疲れるし、財布も軽くなる。
それでも、娘と一緒に食卓を囲み、公園に行き、買い物をし、寝る前に会話をする――その一つ一つが「小学生の娘と過ごせる至福の時間」だった。
仕事に追われているときには気づかない。だが、子どもの成長はあっという間だ。振り返れば、あの数年間にしかできなかった体験ばかりだと思う。
夏のプールは“奇跡の数回”|子どもと過ごす限られた時間
帰省のなかでも特に忘れられないのが「夏のプール」だ。
子どもと一緒にプールに行ける期間は驚くほど短い。
幼稚園から小学生の中学年くらいまで、およそ6年間。そのうえ、天気が良く、家族全員の予定が合う日となると、年に数回、6年間でも恐らく十数回しかない。
だから私は「行けるときには無理してでも行く」と心に決めていた。
流れるプールを何周も一緒に回り、ウォータースライダーで大声を出し、アイスを頬張る。炎天下で体はぐったり疲れる。だが、そんな時間は娘の成長とともにあっという間に過ぎ去ってしまう。
今思えば、あれはまさに「奇跡の数回」だった。
いくらお金を貯めても、娘が幼い頃に一緒に過ごす夏は二度と戻ってこない。
だからこそ、交通費も体力も惜しまずにプールへ通った自分を、今でも誇らしく思っている。

一貫していた「お金より時間」の価値観
大学時代に「車より友人との時間」を選んだ自分。
社会人になって「競馬やパチンコより家族との時間」を選んだ自分。
その象徴が「夏のプール」だった。
すべてに共通しているのは、「お金はまた稼げる。でも時間と人との関係は今しかない」という価値観だ。
この感覚は若い頃から一貫して私の中にあり、50代になった今、その思いはさらに強くなっている。
今使わんと、いつ使うねん!
50代になり、私はモットーを持つようになった。
「今使わんと、いつ使うねん!」
これはただの浪費ではない。
お金を「時間」と「思い出」に変えるための投資だ。
車を手に入れるために時間を削った友人を不思議に思った学生時代。
娘と過ごすために単身赴任から帰省し続けた社会人時代。
夏のプールを全力で楽しんだ家族の記憶。
これらの経験すべてが、今の私のモットーを裏付けている。
まとめ
お金を貯めることは大事だ。だが、それ以上に大事なのは「今しかない時間」を逃さないことだ。
青春時代の友情も、娘の小学生時代の笑顔も、夏のプールでの日差しも――すべては一度きり。
だからこそ私は胸を張って言いたい。
「お金はまた稼げる。でも時間は戻らない。今使わんと、いつ使うねん!」
関連記事はこちら
➡50代の家族旅行|城崎温泉で実感“食がメイン”
➡50代おやじの退職相談記|お金では買えない仲間
➡50代おやじの豊かな浪費|プレゼントは“興味の証”であり人間関係への投資