食べた直後に忘れるようになった母
母が「今日のお昼、何食べたっけ？」と聞いたのは、食べ終わって5分後のことでした。
テーブルには、まだ食べ終わった皿が残ったまま。
その光景に、胸の奥がすこしざわつきました。
最初は笑い話のように扱っていました。
「そんなん忘れる？まだ皿あるやん」と言うと、
母も「ほんまやなあ、私どないしてんねん」と明るく返してくる。
そんなやり取りが続きました。
ただ、頻度はゆっくり増えていきました。
笑っているのに、目の奥だけが笑っていない──
そんな“薄い影”のような感情が見えるようになったのは、この頃です。
笑顔の奥にあった“気づかれたくない不安”
母はもともと明るく前向きな人でした。
多少の失敗があっても
「まあええやん」と笑って済ませるタイプです。
その母が、
「覚えてなくても、美味しく食べられたらええねん」
と言ったとき、私は違和感を覚えました。
言葉は明るい。
でも“自分でも少しおかしいと気づいている”
その揺れが、表情に滲んでいました。
日常生活が普通だからこそ見逃しやすい変化
今になって思えば、サインはいくつもありました。
- 同じ話を繰り返す
- 指差しで「あれ取って」が増える
- 思い出すまでの時間が少し伸びている
- 夕方になると落ち着かなくなる
けれどその頃の母は、
料理も掃除も、すべて問題なくこなしていました。
むしろ綺麗好きで、家はいつも整っていました。
“できていること”が多いほど、
“見えていない変化”に気づきにくい。
これは家族だからこそ陥りやすい落とし穴でした。
買いすぎ行動という別のサイン
当時、実家に行くと
見慣れぬ量の除湿剤やウェットティッシュが棚に積まれていました。
「こんなに買ったん？」と聞くと、
母は決まって
「どうせ使うからええねん」と笑っていました。
買い物はできている。
財布の管理も一見問題ない。
だから私は「買いすぎやろ」と軽く受け止めていました。
でも今思えば、
これは不安を埋める“ストック行動”でした。
忘れることへの不安がふくらむと、
人は“確かなもの”を手元に置きたくなる。
母もそのサインを静かに出していました。
夕方になると変わる母
母の変化は、夕方に一番現れていました。
朝は普通。
昼も普通。
でも夕方になると落ち着きがなくなって、
鼻歌を歌いながら家の中を歩き回るようになる。
当時は、
「今日は気分が乗らんのかな」
くらいに思っていましたが、
認知症では夕方から不安が強くなりやすいと言われています。
あれはその始まりだったのだと思います。
胸に残った“ざわつき”
決定的な瞬間は、母がふいに
「今日、何してたっけ？」
とつぶやいた日でした。
食べたことを忘れるのとは違う。
今日という“まとまり”がまるごと抜けていた。
この瞬間、私は
「これは放っておけへん」とはっきり思いました。
怖さや不安よりも、
“母が一人でこの不安を抱えるのはしんどいやろ”
という気持ちのほうが大きかった。
ここから私は、母と一緒に過ごす時間を意識的に増やすようになりました。
この違和感が、私の『時間の使い方』を静かに変えた
母の変化は急ではありませんでした。
むしろ、静かに、気づかれないように進んでいきました。
でもこの最初の違和感が、
私自身の “50代の時間の使い方” を変えるきっかけになっていきます。
仕事が忙しい。
家のこともある。
自分の時間だって足りない。
でも──
母との時間は、待ってはくれない。
その当たり前のことに、私はようやく気づき始めました。
読者へのひとこと
小さな“あれ？”は、家族だけが気づけるサインです。
深刻に受け止めすぎなくていい。
でも、見て見ぬふりをしなくていい。
今日の違和感をひとつ覚えておくだけで、
家族との時間は、すこし優しく変わります。
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